(その2)
■2005.8.5 「ささやかな体験から」
恵楓園の旧礼拝堂での葬儀の際の、福祉室長の椅子席位置は、入所者の広い畳の席より一段高いとこにあって、お導師の斜め前、ご内陣の中といっていいのでしょうが、そこから参列の入所者を見下すような位置でした。私は、監視の名残りだと感じて改めることにしたのでした。
平成元(1989)年4月当時の入所在籍数は、1042人。
宗教団体別では、 真宗報恩会 623
真言宗真愛会 68 日蓮宗報国会 67
天理教道友会 7 カトリツク暁星会 98
金光教求信会 8 キリスト黎明会 58
日蓮正宗創価学会 50 仏立宗 13
その他 50
と、なっていました。創立80周年記念誌(平成元年5月・園発行)より
入所者の六割が付け出されていた真宗報恩会が、予防法廃止後、間もなくして解散されたことは、毎月二回の法話や会員の法事、通夜、野辺送り、葬儀と皆さんでお世話されていること身近に知っていた私にとっては驚きでした。
解散となった理由は、色色あったようですが、私が個別に断片的に伺ったことによれば高齢化により世話人のなり手がない、入所者の葬いを入所者がなぜしなければならないのかとの指摘、あきらめ、業の教えを説き、隔離の身さえ報謝と差別を受け容れさせてきたではないかとの提起などの声があって、一気に解散となった、と聞きました。その後、真宗同士会が組織されているとのこと。
浄土真宗本願寺派佐賀教区のある組での、ハンセン病問題僧侶研修会に招かれた際に、恵楓園での真宗報恩会の解散のことについて触れさせていただきました。
全体討議の中では、そもそも「業」という教えがあるのか、「業」を布教使が間違って説いてきたからではないのかなどと談合されました。御同朋の道を踏み外していたのでは、との意見もありました。
この僧侶研修会の二月くらい後になつてから、ハンセン病問題の研修は、住職や若院だけでなく、ご門徒と日常的に接している坊守も学習しなければと、その組の坊守研修会での講話の依頼がありました。
その坊守研修会の全体討議の場で、ある若坊守さんが、今まで他人事としてハンセン病問題を考えていたが、今日初めて自分のこととして受け止めることができました、と述べれたのを聞いたときほど嬉しく思ったことはありませんでした。
在職中に遠方から布教に来ていただく多くの先生にも接しましたが、「使」であるべきを、「師」と勘違いしておられるのではと思える先生もおいででした。如来様に背中と尻を向けて話していると「師」と錯覚されるようになるのでしょうか。そのことを心しながら啓発の場に臨んでいるところです。
最終報告書の『宗教界の役割と責任』の項に、「救うもの」と「救われるもの」という構図の中で宗教的取り組みが自己完結していく、という問題がひそむ。とありますが、違った側面からの私の所感を述べさせていただきました。 合 掌
(その1)
■2005.8.4 「花火のことなど」
貞松と申します。23歳からハンセン病問題に関わって44年、恵楓園と愛楽園にも在職した元職員です。栗生楽泉園の浅井あいさんの訃報を今朝の新聞で知りましたが、全国13園のうち、その楽泉園以外、12園をなんらかの形で訪ねている者です。
各園の夏祭り・盆踊り、花火のことについてお知らせがありましたが、恵楓園の花火にまつわる私の思い出。
私が、恵楓園福祉室長(当時の職名)として入所者の皆さんの福祉や生活のお世話をする部門の責任者として赴任したのは昭和63(1988)年。納涼盆踊り大会で、花火を揚げることを発案して自治会に初めて提案しました。
資金のこと、安全面のこと、地域住民の皆さんに税金を打ち上げていると誤解されないか等の心配がありました。
筑後柳川地方では先祖供養に花火を揚げる風習があることを知っていましたので供養の花火とすることにして、資金は園内外からのカンパで賄うことにし、最初は200発程度として初めての実施にこぎつけました。
入所者はもちろん、地域の皆さんからも喜ばれて安堵したのが昨日のことのようです。この企画を立案した際に、まず盲人会の役員の皆さんに趣旨を説明して諒解を受けることから始めたことを今でも鮮明に記憶しています。
同時に、園内の葬儀には施設を代表して参列する立場でしたが、礼拝堂での葬式では一段高い座で、お導師や参列者に真向かって、阿弥陀如来像を背にして監視するような席に座らせられることを改めることにしました。
昔からのしきたりでそうなっているとの説明だったのですが、強制隔離、監視の象徴のようなしきたりで、人としてどうしても納得できずに、園長と自治会にも相談して、入所者と並んで列席するようになつたのも、まだ17年前のこと。
あの時の人として許せないとの思いを「らい予防法」の廃止へとの行動になしえなかったことが忸怩たる思いです。その自己反省から、市民学会の一会員となり、宗教部会にも参加させていただきました。宜しくお願いします。
実行委員会の取り組みの紹介 ★「発信塔」 こちら
きょうこさんやにわとりさんの魅力にひかれ、別府の「おかえりなさいコンサート」の実行委員として参加しています。
世の中には理不尽なことがたくさんありますが、活動に関わっていく中で、差別された方々と出会っていく中で、ハンセン病問題は最たるものだとの思いがとても強くなりました。またこの問題に一生懸命取り組むみなさんに出会えたことが、本当に人生の宝物です。
私はずっと「障害」児教育に携わっています。
今でも覚えていますが、10数年前「子どものためといいながら、結局は自己満足なのではないか。自分に『障害』がある子どもがいるわけじゃない、まして自分自身『障害』があって差別されているわけでもない。こんな私に何ができるのか。」と悩みながら同僚と話したことがあります。
そんなときある先輩に「そうやって悩んでいるあなたがいることがとても大切なことだよ。そのままを保護者に子どもに伝えたらいい。周りにいるからこそできることってたくさんあるよ。」というようなことを言われました。今やっとその意味がわかってきた気がします。
「差別」はない方がいいのではなく、あってはいけないことです。これは当たり前のことだし、こんなふうに書いてしまうととても簡単なこと、だけどとても難しいことですよね。
無関心でいるより考えた方がいい、出かけないより会って話をした方がいい。自分にできることはこれくらいだけど、私としてできることにこれからも取り組んでいきたいと思います。
市民学会の皆様もお体に気をつけてくださいね。
「お帰りなさい」ふるさとへ実行委員 けーすけ
けーすけさん、お便りありがとうございました♪事務局一同とても喜んでいます。「発信塔」への投稿もお待ちしていま〜す。(オンライン運営班)
「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」が主催して、「ハンセン病訴訟勝訴四周年記念シンポジウム・今こそ考えようハンセン病」が6月24日に富山市で開かれ、多くの若者を含む約220名が参加しました。
始めに、「いま 富山では…若者たちが」と題して浄土真宗本願寺派高岡教区寺族青年会と富山県民主医療機関連合会(富山民医連)が取り組みを紹介しました。寺族青年会では、様々な社会問題に関する勉強会などを行っており、昨年はハンセン病問題の勉強会や療養所への研修旅行を行ったことを報告しました。また、富山民医連では新人職員研修でハンセン病問題に取り組み、医療・福祉機関と従事者の人権を保障する責任について学んだことを報告しました。
次に、「熊本判決から4年 あらためて判決の意義とこれからを問う」をテーマにパネルディスカッションを行いました。パネラーはハンセン病国家賠償西日本訴訟弁護団代表の徳田靖之さん、同訴訟原告の上野正子さん、ネットワーク代表の藤野豊富山国際大助教授が務めました。
上野さんは沖縄県石垣島の出身で、13歳の時に鹿児島の国立ハンセン病療養所敬愛園に入所され、60年以上の隔離生活を送られました。19歳で結婚されましたが、夫は強制的に断種手術を受けさせられ、「いつか社会復帰して、貧乏でも子供のいる普通の家庭を築くことにあこがれていたが、かなわなかった」とおっしゃった言葉が印象的でした。
徳田弁護士は、差別と偏見はいまだに残っていること、回復者の平均年齢が78歳になっていること、国は療養所の統廃合を進めていることや、大戦中に日本が植民地化した韓国、台湾でも隔離政策が行われ、その問題が未解決であることを指摘され、ハンセン病回復者の方がふるさとに帰るときは暖かく迎えて欲しいと訴えました。
藤野代表は「ハンセン病問題に関する検証会議」では、断種、中絶、生まれた子どもを殺すなどの根拠が未解明のままだったことをあげ、今後の真相解明の必要性について述べました。
質疑応答では、若者から「私たちは、学校で受験や試験で他人より良い成績を取るために必死で勉強し、自分より成績の悪い生徒を見て安心するという環境にいる。差別は良くないと思うが、差別をなくすのは難しいのではないかと思う。」という意見が出ました。これに対し、徳田弁護士は「差別を見て見ぬ振りをしたり、分かったように振舞うよりも、この様な意見が出ることが必要だ」と述べられました。
そして、最後にこのシンポジウムを契機に県民のハンセン病問題への理解を深め、来年の富山での市民学会への協力を求めました。
前田 祥子 /学生 (富山国際大学)
http://www17.ocn.ne.jp/~kusunomo/
■HP製作者である菊池恵楓園自治会の太田國男(ハンドルネーム:ひつじ)さんに聞きました。
Q.どうして「kusunomo」なんでしょうか?
ひつじさん:
そのご質問にお答えするためにはわたしの恥を曝さなければなりませんが、実は、自治会のHPを作るなら、そのアカウントは kusunoki にしようと考えていました。しかし、いざ登録しようとしたら “kusunoki”は既に使用されており、使えませんでした。そこでとっさに“楠の下(もと)”にしようと“kusunomoto”と打ち込みましたが、8文字以内ということをすっかり忘れていて、“to”が落ちてしまった挙句、登録が完了になってしまったと言うわけです。 失敗の巻でした、悔しいぃ!(;_;)。
Q.TOPページの写真について
ひつじさん:
トップページに書いたように、写真の楠は恵楓園が開所された当初からこの場所に在ったと伝えられています。恵楓園の遷り変わりを逐一見守って来た唯一の記念樹とも言うべき存在です。幹の周囲は620センチもあり、その枝は10数メートル余りも張り、年中緑の葉が茂る緑陰は自然が醸し出す格好の憩いの空間です。亡くなった療友の野辺送りに際してはこの楠の下に集まって最後のお別れをします。開所以来これまでに凡そ3,300余人をひとりひとり見送って来たのはこの“楠”なのです。恵楓園を象徴する“楠”であると言っても反対する者はだれもいないでしょう。恵楓園の入所者数は年内には500人を割るでしょう。そして20数年後には、この楠の下に集う人々が何人いるでしょうか?
ひつじさんのHP かえで共和国 緑の牧場
ぜひ、こちらもお立ち寄りください。
