杉本健二さんからのメール
 事務局にメールをいただきましたので、了解を得て掲載いたします。

 始めまして、先日東京の豊島公会堂でおこなわれた『ハンセン病療養所のあしたを開く市民の集い』に参加した杉本と申します。
 この集会に参加したのは先日草津町でおこなわれたハンセン氏病市民学会の第3回総会の様子を紹介した読売新聞の記事がきっかけでした。

 それまでハンセン病問題はすでに先の裁判で国の責任が認められた時点で解決したものと思っていました。正直言って『療養所の将来構想とはなんぞや?』となぜ隔離施設を存続させなければいけないのが逆に疑問に思ったほどです。
しかしこの問題の根源に入所者の方々の高齢化があり、それは長きに渡って続いてきたハンセン病の方々に対する長年の差別と偏見の結果である事を知り愕然としました。

 私はいわゆる『アトピー性皮膚炎』に長年苦しめられてきた患者の一人です。20代の中頃まで治療薬としてストロイド外用剤や内服を使用しておりました。しかしステロイドの長期連用で逆に副作用に苦しみ、温泉療法を中心とする脱ステロイド療法でなんとか現在は普通に生活を営む事が出来ております。
しかしハンセン病の方々の苦しみには遠く及ばないにしても、我々アトピー患者もその皮膚の状態や外見、特にステロイドの副作用に苦しむ方々は世間の無理解と偏見に苦しめられています。
 その症状により就職や結婚といった物にも高いハードルが課せられています。

 今回の集会に参加してハンセン病の方々の方々から発せられる様々な体験談には少なからず自分の経験と重ねあわせてしまい、とても他人事とは思えない自分がそこにいました。そしてハンセン氏病の問題はこの日本という国の弱者に対する施策の縮図であるのではないかとも。
 現在私は『ゆうねっと』というアレルギー性の疾患に悩む方々のネットワークの会員です。(会員は100名ほどの小さな団体ですが)新聞記事で拝見した草津の粟生楽泉園の温泉型療養施設という将来構想はステロイドの副作用により温泉療法を選択する必要のあるアトピー性皮膚炎の方々にも興味ある構想だと一患者として思います。
まず何が出来るかどうかはわかりませんが、これを機会に会員とならせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。


                    杉本健二

水俣の福岡みゆきさんから
 水俣の福岡みゆきさんからのメールです。

 

 長らくご無沙汰しました(ーー;)
 富山での(5月)の市民学会に参加して後、色々考えさせられました。本当に色々・・・(いつか誰かと話したい!)
 前にも述べた水俣病問題も、私的に新たな展開もありました。
 人権侵害は、いつでもどこでも、その人の持つ育成歴や環境に比例するんだなぁ・・・と思える事例や、個々人の`思い込み’や`決め付け’に気付き、自らの学びになりました。ちょこっとお利口さんになった気分です。志村さん、阿部さん、稲葉さん…恵楓園の皆さんと話せなかったなら、今の私はいないだろうなぁ・・・という想いです。
 解放的な自分はgoodな結果です。
 ありがとうございます。
 ちなみに今夏、水俣から恵楓園に研修に行かれた教職員(学校)がたくさんありました!どう受け止められたかなぁ (^^♪
 水俣でのハンセン病に関する意識はまだまだの状態と思いますが、恵楓園を訪ねた教職員自らの解放が、子どもたちを変える起爆剤?になると期待しているこの頃です。先生方も別の視点からの視点=人に優しくする技術(差別を教えるのではなく体験としてとらえる)を磨いて欲しいと思います。



 福岡さん、ありがとうございました。
北海道で
 北海道の由井久志さんからのお知らせです。

 全療協の神美知宏事務局長が24−25日の両日、北海道の旭川市、札幌市で相次いで講演しました。

●北海道新聞の記事(札幌会場のみ)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060626&j=0022&k=200606269958

 旭川会場は「ハンセン病問題を考える会」の主催。同時開催として八重樫信之さんの写真展「絆 『らい予防法』の傷痕−日本・韓国・台湾」が開かれ、写真24点が紹介されました。
 札幌会場は講演会は北海道主催。
 後半の映画「ハンセン病 今を生きる」上映会は北海道ハンセン病協会と北海道はまなすの里の主催。
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ハンセン病問題を考える会/事務局長 由井久志
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 由井さんから『メインページのカウンター、もうすぐ2万件ですね。なんだかめでたいような気がします』というメールもいただいています。
 ありがとうございます。たしかにめでたいです(笑)
 今後ともよろしくお願いいたします
               オンライン運営班:中村



 八重樫信之さんの写真集 絆 「らい予防法」の傷痕――日本・韓国・台湾〜 は こちら(人間と歴史社)
「山口県におけるハンセン病対策の展開ー無癩県運動期を中心にー」


 長崎純心大学の教員をしている杉山と申します。
 このたび、『山口県史』(山口県史編さん室)第14号に「山口県におけるハンセン病対策の展開ー無癩県運動期を中心にー」を発表いたしました。
 ご承知の方も多いと思いますが、光田健輔は山口県出身です。光田のお膝元の山口県では隔離政策がどう展開したのかを検討しました。
 関心をお持ちの方には抜き刷りを差し上げますので sugiyama@n-junshin.ac.jp  まで、ご一報ください

水俣:福岡さんからのうれしいメールです

 人権教育指導員を務めている福岡といいます。 
 熊日新聞の記者さんに聞いて、ビックリしました。「あなたのパンフと同じイラストが、ハンセン病市民学会広場にありますね!」
 さっそくのぞいてみたら…うわぁ、本当だ(^o^)なんという偶然!
子どもたちにハンセン病問題をわかりやすく伝えるため、恵楓園の方々に相談しながら作成したパンフレットPart2、皆さんの優しさを伝えるために決めていたイラストの選択が一緒だったなんて、なんだか嬉しかったです(^^♪
 
 私はハンセン病と出会って学んで、改めて自分の中の水俣病と向き合っています。ハンセン病問題を(部落差別問題もしかり)仕事の枠を超えて受けとめていきたいと、すぐに思ったのに、水俣病問題は長いこと避けていました。出身と言たくない差別の意識があったからです…地元に居てまだまだ遠慮がちにしている私ですが、水俣病にも心を添わせて、私なりに伝えたいと思っています。勇気をくださった恵楓園の方々のように…




 4月8日、「広場」の投稿フォームから↑のメールをいただき、「広場」に掲載したいとお願いしました。そのお返事は・・・
 

 市民学会のHPばかり見て、“広場”をたずねていなかった私б(@_@;)です…ごめんなさい。あんなんでよろしければ、載せてください。
 
 パンフはハンセン病について、私自身が疑問に思ったことを、どうにか子どもたちに伝えたいと思い作成しました。内容に関しては、恵楓園の自治会の皆さんに見ていただきました。完成したPart1を恵楓園に進呈しましたら、それを皆さんが「講演前に目を通す資料」として学校などに配布してくださったので… 地元より先に、県内のいくつかの学校(県外も…)から問い合わせが来て、もう涙がでるくらい嬉しかったのです。
 
 それから後、水俣での教職員や生徒対象の人権講和(ハンセン病を知る)に招かれることが多くなった…(ーー;)しかし、パンフが足りなくなってきて…で、Part2作成が去年です。パンフのわかりやすさ等、今も阿部さんがいつも褒めてくださって「人間、認められると頑張れるのだなぁ」と自ら実感しております。
 Part2は、ハンセン病問題から学ぶこととして、思い込みや噂などを信じることが差別・偏見につながる…などを、同じく子供向けに、優しい絵(ふわふわ。り)で表現しました。


 

 気になるパンフですが、近日中に入手して「広場」でご紹介したいと思います。あらためて<発信塔>にも原稿をお願いしました。
 福岡さんは、5月の富山総会にも参加されるそうです。お楽しみに。
菊池恵楓園原告団お花見スナップ
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 4月1日(土)、総勢100名の大花見会となりました。
              〜Yさんより〜
『ハンセン病と出会う会 No Border』さんから
 

 初めまして。『ハンセン病と出会う会 No Border』代表の毛利と申します。『No Border』は熊本で学生を中心に今年生まれたばかりのサークルです。
 まだまだ歩みだしたばかりでなにができるかわかりませんが、『No Border』が窓口となり、若い世代のハンセン病についての理解が深まっていけたらと思います。
 先日の「菊池恵楓園退所者中修一さんを囲んで〜の様子を紹介したブログもありますので、よろしければご覧ください。

 『ハンセン病と出会う会 No Border』HP   http://noborder06.blog55.fc2.com/

中山監督の映画製作・上映実行委員会より
 3月18日に映画「新・あつい壁」製作・上映実行委員会が開催され、映画のタイトルが決まりました。
   
 「新・あつい壁」
 中山監督のデビュー作が「あつい壁」なので、「新・あつい壁」といえば、その焼き直しかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。しかし、実行委員会で披露された中山監督の思いや、それを受けとめた参加者からの思いが語られる中に、参加者全員の熱い共感と賛同の拍手をもって決定されました。

 中山監督は実行委員会の中で、映画製作への思いを次のように語りました。
---
 この映画は、F事件*(注)をモチーフとしているけれども、その“事実”ではなく、“真実”を描きだすものにしたいと考えています。ドキュメントではなく劇映画(フィクション)としたのも、それが理由です。
 主人公は現代を生きる青年です。その時代は、“らい予防法”廃止から原告による提訴、そして勝訴、国による控訴断念、さらに熊本県での宿泊拒否事件、その後の菊池恵楓園に投げつけられた誹謗・中傷の嵐に至る、まさに現在です。その中で青年は、ふとした出来事からF事件に出あいます。・・・
 F事件を、単に過去の出来事として描くのではなく、まさに現代を生きる私たち一人ひとりの中にある「ハンセン病問題」として描きたいと思っています。題名を「新・あつい壁」としたいと考えた所以(ゆえん)でもあります。
---(要約(部分):事務局)

*(注)F事件:
 事件当時の直接の関係者の方々への配慮から、実行委員会では今後、今回のモチーフとなった事件を「F事件」と呼んでいくことになりました。

 参加者のお一人から出された「新・あつい壁」論が印象的でした。
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 前作の「あつい壁」は、果たして乗りこえられたのでしょうか。それは今日も、私たちの中に“ある”と言うべきではないでしょうか。「あつい壁」という言葉は、非常に的確な象徴の言葉として、今日もなお、私たちの課題であり続けています。
しかし同時に、それを乗りこえようとする動きも生まれてきています。そうした動きの中に、この映画「新・あつい壁」が位置づけられることを期待しています。
---(要約(部分):事務局)

 ■ 加えてお知らせです。
 4月22日(土)の夕方から、どなたでも参加していただける「つどい」を熊本YMCA「ひまわり」で計画中です。映画に出演予定の俳優さんも来熊の予定ですので、ぜひご参加ください。
立食パーティー形式で参加費2000〜3000円程度になる予定です。製作協力券(上映会での入場券)も1枚1000円で販売スタートです。ご協力ください。

       ※HP中山監督の映画製作ノート

  
貞松さん  最後のお話
 佐賀の貞松さんに原稿をお願いした際、最初の返信は、「別府の公立学校の教諭の教育実践報告は感銘深く読みましたが、その感想を書くことさえできずにいますのでお許し下さい」というものでした。

 「『発信塔』に掲載されたものに対して感想をいただくということはありませんので、HP担当として大変励みになりました。溝部先生にも伝えさせていただきます」とこちらから返信しました。

 あらためての返信に

 職場の同僚・先輩から「重い問題なので軽はずみな気持ちではいけない」と言われた部分が、その真実性とあいまって心に残りました。溝部先生にそう忠告された方は善意だったとは思いますが、私自身の体験からしても「あまり深入りするなよ、ほどほどにしとけ」との響きに聞こえるのです。それを乗り越えての実践だけに感激いたしました。報告内容も具体的で素晴らしいもの。


  といただきました。

 「発信塔」は こちら です。
 和泉 眞藏さんの「インドネシア便り」に口火をきっていただいて、さまざまな立場の方から原稿をいただいています。あちらからこちらから、もっともっといろんな声が集まりますように、みなさんのご協力をよろしくお願いいたします。
                    オンライン運営班

 P.S. 西日本新聞(10月14日社会面)に「ハンセン病差別 風化させぬ啓発は紙芝居授業」という見出しで、溝部京子さんの実践が紹介されていましたが、「発信塔」を読まれた記者さんが取材されたということでした。これもうれしいことでした。
貞松 康夫さん その3
 宗教部会のメーリングリストより、投稿者の佐賀市 貞松 康夫さん(菊池恵楓園元職員)のご了解を得て、「広場」に転載させていただいています。
    (その3)

■2005.9.4  「予防法闘争について」
 私は、ハンセン病問題を考えるときに、患者運動の果たしてきた役割、とりわけ、1952(昭和27)年10月から翌年8月までの15ヶ月間に亘る予防法改正闘争を忘れてはならないのではと思っています。
 各園の自治会が結集しての全国協議会が発足、発会式が行われたのは1951(昭和26)年2月10日。当初から「予防法」を「患者保護法的性格への改正」要求が重要項目の一つでした。

 国会における「三園長証言」(1951年11月8日・参議院厚生委員会)をきっかけに全国各園での予防法闘争が発展。総決起大会や作業スト、デモ行進、国会請願、二百名の武装警官と対峙しての座り込み(参議院通用門前と厚生省玄関前、同大臣室前)行動、各園での自主的ハンストなど激しく闘われました。当時の、恵楓園青年行動隊は血判をしたためて参加したと関係者から直接聞いたことがあります。

 しかしながら、衆議院では二日間、参議院でも秘密会審議などで実質審議はなく予防法は原案どおりで、九項目の付帯決議をつけて成立。「全患協ニュース」には次のようにまとめられている。(全療協議編・結成50周年記念誌「復権への日月」より)。

「予防法は遂に原案のまま成立し、8月15日付をもって制定公布されました。誠に残念であります。然し、このことだけをとらえ吾々は完全に失敗し、凡てはもうお終いだなどと考えるのは誤りであります。こんどの運動を通じて吾々が得た教訓と成果は決して小さいものではありません。(略)成果を踏み台にして、更に継続前進させてゆかねばなりません」と。

 私は、このまとめの中の次のような一節こそ、その後の自治会運動、全療協の闘いを支えることになったのだと確信しています。
「吾々は団結の力を知り、卑屈な劣等感の枠をつき破って、社会人として呼吸し、実践することを学びました」
 つきあいのある入所者のなかには、この予防法闘争によって自分の人生観が変わったと述べる方が多いのです。
 この予防法闘争を、国立病院・療養所職員の労組である「全医労」が支えていたことが案外知られていないので、元職員の一人として触れさせていただきます。
 国会や厚生省での座り込み行動には、全医労も共闘し、初めての政府との直接交渉の斡旋、第4回総評大会での「患者の基本的人権を守る闘争支援」の緊急動議による決議採択と患者代表による報告と挨拶実現などに尽力していたことを記しておきます。