(その1)
■2005.8.4 「花火のことなど」
貞松と申します。23歳からハンセン病問題に関わって44年、恵楓園と愛楽園にも在職した元職員です。栗生楽泉園の浅井あいさんの訃報を今朝の新聞で知りましたが、全国13園のうち、その楽泉園以外、12園をなんらかの形で訪ねている者です。
各園の夏祭り・盆踊り、花火のことについてお知らせがありましたが、恵楓園の花火にまつわる私の思い出。
私が、恵楓園福祉室長(当時の職名)として入所者の皆さんの福祉や生活のお世話をする部門の責任者として赴任したのは昭和63(1988)年。納涼盆踊り大会で、花火を揚げることを発案して自治会に初めて提案しました。
資金のこと、安全面のこと、地域住民の皆さんに税金を打ち上げていると誤解されないか等の心配がありました。
筑後柳川地方では先祖供養に花火を揚げる風習があることを知っていましたので供養の花火とすることにして、資金は園内外からのカンパで賄うことにし、最初は200発程度として初めての実施にこぎつけました。
入所者はもちろん、地域の皆さんからも喜ばれて安堵したのが昨日のことのようです。この企画を立案した際に、まず盲人会の役員の皆さんに趣旨を説明して諒解を受けることから始めたことを今でも鮮明に記憶しています。
同時に、園内の葬儀には施設を代表して参列する立場でしたが、礼拝堂での葬式では一段高い座で、お導師や参列者に真向かって、阿弥陀如来像を背にして監視するような席に座らせられることを改めることにしました。
昔からのしきたりでそうなっているとの説明だったのですが、強制隔離、監視の象徴のようなしきたりで、人としてどうしても納得できずに、園長と自治会にも相談して、入所者と並んで列席するようになつたのも、まだ17年前のこと。
あの時の人として許せないとの思いを「らい予防法」の廃止へとの行動になしえなかったことが忸怩たる思いです。その自己反省から、市民学会の一会員となり、宗教部会にも参加させていただきました。宜しくお願いします。
