貞松 康夫さん その3
 宗教部会のメーリングリストより、投稿者の佐賀市 貞松 康夫さん(菊池恵楓園元職員)のご了解を得て、「広場」に転載させていただいています。
    (その3)

■2005.9.4  「予防法闘争について」
 私は、ハンセン病問題を考えるときに、患者運動の果たしてきた役割、とりわけ、1952(昭和27)年10月から翌年8月までの15ヶ月間に亘る予防法改正闘争を忘れてはならないのではと思っています。
 各園の自治会が結集しての全国協議会が発足、発会式が行われたのは1951(昭和26)年2月10日。当初から「予防法」を「患者保護法的性格への改正」要求が重要項目の一つでした。

 国会における「三園長証言」(1951年11月8日・参議院厚生委員会)をきっかけに全国各園での予防法闘争が発展。総決起大会や作業スト、デモ行進、国会請願、二百名の武装警官と対峙しての座り込み(参議院通用門前と厚生省玄関前、同大臣室前)行動、各園での自主的ハンストなど激しく闘われました。当時の、恵楓園青年行動隊は血判をしたためて参加したと関係者から直接聞いたことがあります。

 しかしながら、衆議院では二日間、参議院でも秘密会審議などで実質審議はなく予防法は原案どおりで、九項目の付帯決議をつけて成立。「全患協ニュース」には次のようにまとめられている。(全療協議編・結成50周年記念誌「復権への日月」より)。

「予防法は遂に原案のまま成立し、8月15日付をもって制定公布されました。誠に残念であります。然し、このことだけをとらえ吾々は完全に失敗し、凡てはもうお終いだなどと考えるのは誤りであります。こんどの運動を通じて吾々が得た教訓と成果は決して小さいものではありません。(略)成果を踏み台にして、更に継続前進させてゆかねばなりません」と。

 私は、このまとめの中の次のような一節こそ、その後の自治会運動、全療協の闘いを支えることになったのだと確信しています。
「吾々は団結の力を知り、卑屈な劣等感の枠をつき破って、社会人として呼吸し、実践することを学びました」
 つきあいのある入所者のなかには、この予防法闘争によって自分の人生観が変わったと述べる方が多いのです。
 この予防法闘争を、国立病院・療養所職員の労組である「全医労」が支えていたことが案外知られていないので、元職員の一人として触れさせていただきます。
 国会や厚生省での座り込み行動には、全医労も共闘し、初めての政府との直接交渉の斡旋、第4回総評大会での「患者の基本的人権を守る闘争支援」の緊急動議による決議採択と患者代表による報告と挨拶実現などに尽力していたことを記しておきます。

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